KIM MYUNG-MIN ++不滅の李舜臣++
「21世紀 なぜ李舜臣なのか?」 KBS不滅の李舜臣公式サイトより
2004.9.4(KBS初放映日)
21世紀の新たな指導者像が必要な時だ。
私たちは今古い政治を清算し、分裂した国論を統一させ、新しい韓国を作らなければならないという
身に余る課題を抱えている。
このような歴史的転換点で時代をリードして行ける指導者は、果たしてどうするべきだろうか。
危機をチャンスに変え勝利を導いた李舜臣こそが21世紀、新たな指導者像ではないだろうか。
国家存亡の危機の中で指導層が軸を失い漂流する時、揺るぎない愛国心と勇気、
そして不屈の精神で国を救った李舜臣。学閥や出身、血縁にかかわらず、原理原則に従って
事を処理し、古い習慣を果敢に打ち破り徹底した準備と改革精神で部下達を率いた李舜臣こそが
この時代が要求する真の指導者像であるだろう。
経済戦争の時代、李舜臣は有効だ。
21世紀は果てしない国家競争時代、いわゆる経済戦争の時代だ。従い、今私たちは
第2の経済危機に直面している。IMFよりもさらに大きい危機が押し寄せて来ている。
この視点で私たちにとって切実なことは「私たちもできる」というプライドと前向きな考えだ。
元均(ウォンギュン)が漆川梁(チルチョンリャン)海戦で大敗し、たった12隻の船だけが残った時、
李舜臣は水軍をなくそうという朝廷の議論に反駁し、このように言った。「自分にはまだ12隻の船が
残っております。私が生きている限り倭軍が我々を軽んじることはできません。」
そして李舜臣は倭船の前で動揺する部下達にこのように言った。
チュッキルル カゴハミョン サルコシヨ、サルゴジャ ハミョン チュグルゴシダ!
死を覚悟すれば生き、生きようとすれば死ぬのだ!」
このような「尚有十二(まだ12隻有る、と言った李舜臣の言葉)」の精神、
「必死即生、必性即死(↑の有名なセリフ)」の精神こそ、今もっとも切実に求められる徳目(主題)であるだろう。
壬辰倭乱を振り返り歴史に学ぶ。
壬辰倭乱当時の朝鮮と今日の大韓民国は類似点が多い。国内には、数多い人材がいるにも関わらず
党派競争で国論が二分され、国家的な力量をひとつに結集させることができない点、
北朝鮮核問題とSOFA(韓米駐屯軍地位協定)改定問題を取り巻く気まずい韓米関係などで象徴される
外交的状況は、国際情勢に暗く、倭乱を自ら招いた当時と大きく違わない。
もうこれからは李舜臣と壬辰倭乱をもう一度振り返り、国論と外交的力量を結集する知恵を
学ばなければならないだろう。
国民に希望を与えるドラマが切実に求められる時代だ。
壬辰倭乱は決して敗北した戦争ではなかった。侵略者の意思を断ち切り、諸国の山河を守った
勝利の戦争だった。3度の罷免と2度の白衣従軍(罰を受けて一兵卒として従軍すること)にも関わらず
不屈の意志で諸国を守った李舜臣、絶体絶命の危機の中にあっても希望を忘れず、むしろそれを
チャンスに変え、ついに7年戦争を勝利に導いた李舜臣。彼は夢を見る人々の英雄だ。
そして私たちは李舜臣の生涯を通して私たちの夢と希望を再び確認することだろう。
「李舜臣は誰か?」
李舜臣は原則主義者だ。
彼のもっとも大きな敵は当時(朝廷に)蔓延っていた不正腐敗であった。彼は上官の命令でも、
原則に外れることは従わなかった。人事にも厳正に原則を守り、特に戦乱中には厳正な原則で軍紀を治めた。
多くの彼の部下が軍令を破った罪で斬首の刑で処せられた。李舜臣の力の源泉は原則を守るところにあった。
彼の原則主義は温情主義と縁故主義が蔓延しているこの時代にもいまだに有効な価値であろう。
李舜臣は革新主義者だ。
(内容が↑上とだぶっているため、省略します。)
李舜臣は時代を克服した。
李舜臣と政治はいつも緊張関係にあった。王様は絶えず力の強い将軍をけん制した。
彼の政敵たちも彼をけん制した。彼はいつも時代と緊張関係にあって、それを乗り越えた。
21世紀の今も誰もが時代と緊張関係を結んでいる。これをどのように克服するのか?
時代をどのように愛して、克服するのか?
李舜臣は、(私たちが)21世紀と向き合う時、その答えの一面を見せてくれる。
李舜臣は自分の限界を克服する希望を見せてくれた。
李舜臣は非主流であった。祖父は士禍(大獄事件)に巻き込まれて死に、父は官職がなく、放浪し都落ちした。
一度の失敗の末に32歳でやっと中ぐらいの成績で武官になった。そして10余年以上を辺境の地で費やした。
頼ってくる家族は多く、彼の健康はあまり良くなかった。乱中日記にも彼の健康についての記録が
しばしば触れられていた。
世間は彼を侮っていた。人々は彼の本来の姿を認めようとはしなかった。
しかし彼はついに英雄になった。ナンバー3李舜臣は絶えず自分を練磨し、準備を怠らず、
ついに‘歴史上の人物’になったのだ。その過程は21世紀の人々にも手本となり希望となるだろう。
李舜臣は新たなリーダーシップを見せる。
どのようなリーダーシップが必要であるかはだれもがよく分かっている。問題はそれを具現化し実践すること。
李舜臣は卓越したリーダーシップを具体的に表現した。欠点が多かったにも関わらず、また数多い反対世論にも
関わらず、李舜臣は歴史上にそびえ立った。その過程で李舜臣は卓越した指導力を見せてくれた。
揺るぎない原則、常に勝利に導く戦略戦術、部下達に刻まれた絶対的信頼などは21世紀にさらによく当てはまる
リーダーシップだ。
「どのように描くか」
1.作られた(剥製化した)英雄、その偏見との戦いを敢行する。
天から降りてきた英雄はいない。困難な人生のトンネルを通って、結果的に英雄になっただけだ。
ドラマ李舜臣は聖雄(偉大な英雄)という名のもと、長い間光化門の十字路の銅像と顯忠祠(忠武公李舜臣の影幀を
祭った祠堂。忠清南道、牙山市)に、人々の手によって作りこまれた李舜臣のベールをあえて剥ぎとり、
彼の人間的面にメスを入れて詳しく見ることをその出発点とする。
2.「刀を差した人(武人)」として全力で乱世を生き抜いた人間 李舜臣を描く。
国内では政治改革、民生安定の課題が、国外では虎視眈々と辺境を狙っている女真族と倭寇をはねつけなければ
ならない現実、これが李舜臣が足を踏み入れた朝鮮の現実だった。
民を守り、改革の原則を守る過程で、時には周囲の妬みを買うはめになり、時には敗戦の痛みを耐えなければならず、
3回の罷免と2回の白衣従軍という屈辱に耐えなければならなかった李舜臣は、壬辰倭乱時、朝鮮水軍を率いて
不敗神話を創造した英雄として生まれ変わる。
民を心に抱く「武人」李舜臣、それがドラマが描こうとする主人公李舜臣の真の姿だ。
3.21世紀韓国版「戦争と平和」それがドラマ李舜臣だ。
ドラマ李舜臣は李舜臣個人の偉人伝ではない。また16世紀朝鮮の現実をそのまま復元するが、それが目的ではない。
私たちは壬辰倭乱という極端な戦争状況に全力でぶつかって行った李舜臣をはじめとする数多くの人物たちを通して
時代を飛び越え、存在する人間の本質を探る機会とするものだ。もっとも尊いものから浅はかなものまで。。。
また人間をもっとも極端に非人間化させる戦争を描きだすことで、逆説的に平和の重要性に気付かせる機会になる
ことを願う。
4.人物に対する評価にあって、二者択一あるいは是々非々の論議をしない。(言い悪いで単純に評価しない)
李舜臣を英雄化する過程でその評価がひどく歪曲されてきた名将元均(ウォンギュン)に対する評価を異にすることを
手始めに、日本と明国(中国)の将軍たちに対しても客観的な視点を堅持する。
例えば、日本の国民的英雄豊臣秀吉の位置付を明らかにするが、彼のねじ曲がった征服欲がどれだけ多くの人命を
傷つけ、東アジア平和維持にどれだけ大きな障害物として作用するようになったかの視点で彼を評価する姿勢を堅持
する。豊臣秀吉の大名たち、前進する明国将軍チンリンとイ・ヨソンについてもこれと同じ姿勢を堅持する。
5.英雄李舜臣ではない、真のリーダーとしての李舜臣の姿を浮き彫りにする。
李舜臣の配下に存在した多くの人材に対して再評価を試行する。
李舜臣配下には数多くの人材がいた。策士クォンジュンがいれば、科学者ナ・デヨンと彼を補佐し、亀甲船と武器を
鋳造した名前のない民たちが存在した。それ以外にも壬辰倭乱時、命を惜しまず、戦った政友をはじめとする多くの
将軍達が存在した。彼らのリーダーとしての李舜臣を浮き彫りにし、真のリーダーが備えなければならない徳目
(理由)を明らかにする。
6.「昆陽(コニャン) 陶窯地」民の生活を浮き彫りにする。朝鮮文化の優位性をアピールする機会とする。
壬辰倭乱は茶器戦争だと呼ぶほど日本人たちの朝鮮文化に対する熱狂ぶりはものすごかった。
また、当時日本に連れて行かれた陶工たちが作った陶磁器は以降、徳川家康の江戸幕府時代、
経済力の根幹を形成する重要な機会として作用するようになる。
ドラマが昆陽の窯元の民たちの生活と彼らの作り出した陶磁器を取り巻く葛藤を描く過程を通し、
朝鮮文化の優位性をアピールする機会とするもの。
7.戦乱をくぐりぬけて来た民の生活を詳しく描き、歴史の主人公は民であることをもう一度確かめる契機とする。
(内容が5とだぶっているため、省略します。)
8.植民意識の排撃、当時の現実を正確に展望する。
イ・ガンスをはじめとした植民意識に染まった一部の歴史学者たちはその敗戦の原因を党派争いに夢中になった当時
朝廷から探そうとした。しかしこれはまったく間違った判断だ。
もちろん宣祖の即位が広められた時期の朝鮮朝廷は趙光祖(1482〜1519生理学者兼政治家)の追い出しに人々が一挙に
加勢し、ユン・ウォンヒョンを始めとする勢力が優勢となり仁宗、明宗王朝に続けとするあいだ、政治的乱脈を見せて
きたことは事実だ。
しかし宣祖の即位でその形勢は大きな隔たりを持つようになった。宣祖は文治主義の旗印を高く掲げ、あえて人々を
登用し始めたことはもちろん、その時まで伏地不動(身を伏せて動かない様)で時を待っていた士林達は一挙に朝廷に
出て活発な政治活動を繰り広げた時期だった。これは戊牛、甲子士禍(1504年燕山君(ヨンサンクン)の年に起こった士禍)
そして、己卯士禍(1519年)で数多くの人々がクク庁(逆賊など重罪人を尋問した臨時の役所)で血を流しながら、改革を
叫んだから可能であったということを忘れてはならない。
9.国際情勢に暗かった当時朝鮮の現実を正確に指摘、反省の機会にする。
当時、東アジアは大明がだんだん力を失っていき、女真族が満州を中心に浮上していきながら、倭国は120年間の内戦を
終息させ、実権を握った織田信長が死ぬと、豊臣秀吉が実権を握り全国を統一することになる。内戦期間中西欧の文物
を手にし、鳥銃という新武器を持つようになる。記録はこれらの火力が当時ヨーロッパの銃全ての火力を合わせたものよりもさらに強かったと伝えた。
これに続き倭国はこの武器を元に、東アジア征伐という無謀な夢を抱いている状況だった。
惜しいことに朝鮮はこのような国際情勢を正確に把握する眼目を持った者がほとんどいなかった。
ドラマは朝鮮と日本の7年戦争とその辛い敗戦の第一の原因はここにあることにいったん注目するだろう。この乱世をくぐり抜けて行った李舜臣と柳成龍(リュ・ソンニョン)、元均(ウォン・ギュン)らの人生を照らす過程で国際政治力学の中で弱者として生きるしかない今日の韓国社会をじっと見つめる鏡としようではないか。
翻訳:SAMTAさん 2010.2.13
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