KIM MYUNG-MIN   ++Singles 7月号 ++

メビウスの輪

キム・ミョンミンとオム・ギジュンは映画<破壊された男>で娘を誘拐された父親と誘拐犯として出会った。これよりもっと濃密ですさまじい関係があるだろうか?死んでもお互いを許すことができない彼らはクランクアップから3日ぶりに並んでソファに座った。二人はすごく異なる存在だと思っていたが、固く強い因縁で結ばれていたためか、横目でお互いを見る彼らはいつのまにか、一つのように似通っていた。

公開をひと月残した時点で<破壊された男>はすでにインターネットの検索語1位に上がった。

俳優キム・ミョンミンの次のフィルモグラフィーを飾る作品だという理由だけですでにずいぶん前から注目を受けていた状況だった。さらにそこにはオム・ギジュンという新しいカードもあった。ドラマ<彼らの新しい世界>で気難しいPDとして深い印象を残したオム・ギジュンの初映画、デビュー作であり、初の悪役の挑戦作でもある。彼らの見慣れない組み合わせが気にならないはずがない。

正直もう、キム・ミョンミンの演技について論じることは大きな意味がないように思える。これまでの間、作品と何度かのインタビューを通して彼は自分の演技についてものすごい誠実さと敬虔さをあらかじめ私たちにしっかりと刻みつけたためだ。<私の愛 私のそばに>のルーゲリック病患者から<ベートーベン・ウィルス>のカンマエなど、いちいちすべて辿らなくても、彼はすでに名前自体がブランドになり、大韓民国にそう何人もいない俳優だ。そしてそれは“俳優の顔”を生まれつき持った、いわゆる「花美男(コンミナム)」の俳優達も簡単に成し遂げることができないことだった。

平凡な顔でキャラクターに完璧に(自らを)追い込むキム・ミョンミンのように、オム・ギジュンにもキャラクターの服を着せる時、さらに魅力的になる俳優のオーラがある。日常ではひどく平凡に見える彼らがドラマとスクリーンではただ鋭利なのみを持ち、精密に加工するような、すべての顔と身体が冷たく澄んだように光る理由は何か。笑ったり、冗談を言ったりする時ではなく、ひたすら演技をする時一番魅力的になる彼ら。だから、誰もが彼らを天性の俳優だと言うしかないのだ。

少し前に撮影を終えた彼らには最善を尽くし大変な撮影を終えた後に訪れる気分の良い疲労と安堵が感じられた。破壊力ある二人の俳優が創りだした「破壊」は果たしてどんな姿なのかとても気になった。



シナリオが本当に面白かった。はじめてシナリオを受け取ったときの感じが半端ではなかったようだ。

キム・ミョンミン シナリオが入ってくることが嬉しいし、(笑)チュ・ヨンスという人物に接して胸が高鳴った。

オム・ギジュン 映画は初めてなので本当に嬉しかった。以前から悪役を絶対やりたいと思っていたんだが、シナリオを読んでこいつは本当に腹の底まで悪役だと思った。どうすればうまくやれるかずっと悩んだ。

(今回の雑誌)撮影のために二人の組み合わせを考えて見たんだが正直うまく描けなかった。でもいざとなって見ると、意外にもすごく良く似合うと思った。

キム・オム 私たちもわからなかった。(笑)でも見てみると、オ!いいなじゃいかと思う。(笑)

お互いの初めての作業はどうだったか?

キム スタイリストが同じでそれまで話はたくさん聞いていた。作品は初めてだが以前から知っていた感じがする。初めて挨拶をした時ものすごく礼儀正しく丁寧で感じが良かった。「この人が悪役をやったらどんな感じになるのか」気になったのだが、本当に鳥肌が立つほどに上手かった。
正直映画では直接ぶつかる場面が(それほど)ない。電話で声の演技だけでやりとりするのだが後で撮ったものを見ると本当にうまいと思った。彼が声をくれるのと、演出部が声をくれるのがすごく違うので(オム・ギジュンに)ちょっとやってもらえると有難いとお願いした。スケジュールがないにも関わらず来てセリフを読んでくれて合わせてくれた。ギジュンがルドルフのキャラクターをものすごく上手くこなしたので大きな助けになった。

オム 私は、まさに光栄だった。もともと演技が上手な先輩だから。ただ共演する経験自体が光栄なことではないか。

<破壊された男>は7月公開作の中で一番たくさんの期待を受けている。何と言っても二人の変身が気になる方々が多いと思うが、公開を前にしての感想は?

キム まだ編集版をすべて見ていない。最初の台本を貰った時の緊張とまた違う種類の緊張だ。最初の台本を貰った時はまるで誰かと前後の見境なく愛に堕ちるようなドキドキ感だったし、今はまな板の上の鯉のようなものすごいプレッシャーを感じる。「今はもう、観客と評壇の評価が残っているだけだな。」というそんな気分だ。

オム 実際、おととい撮影が終わった。まだ実感が湧かない。技術試写の時に全部まとめて見ようと思い、まだ編集版を見ていない。私もやはり演技についてどんな評価でも受けなければならないという思いにすごく緊張する。

ギジュンさんには待ちに待った初スクリーン作品でもある。映画をしたいという理由の中のひとつに「ドラマよりも少し完成度のある演技をしたいので」と言ったのだが、実際にしてみてどうだったか?

オム 撮影をした後、モニターをチェックできるということだけでも本当にすごく良かった。いつも口癖のように言っているのだが、ドラマは本当に時間がない。いつも時間に追われてPDがOKすれば俳優が見ることができなくてもただ過ぎて行く場合もある。でも映画はワンカット、ワンカットいちいち全部チェックしながら俳優と監督皆がOKをしてやっと進んでいく雰囲気もあるし、そうできる時間的余裕があるのですごく良いんだ。

この映画のポイントの中のひとつはキム・ミョンミンさんが引き受けたチュ・ヨンスという人物のドラマティックな感情変化だ。牧師、社長、父親、この3人の顔をすべて持ったチュ・ヨンスという人物のキャラクターをどのように掴んたのか気になる。どんな点が一番難しかったか?

キム 俳優の役割であり任務は引き受けたキャラクターを完璧に創りだすことだ。演技はもちろんだし、頭から足のつま先まで外見的な姿もそのように創らなければならない。牧師と社長、娘を探す強い父性愛を持った父の姿は外形的にはほとんど変化がない。子供の頃から教会に通って牧師様のイメージもしっかり浮かんできた。でも牧師から社長に変わった時どんな表現をしなければならないのか悩んだ。私たちが考える社長はどんなものなのか、自営業だし、営業から始めて、医科大学出身なんだが牧師になって、家族を失ってから、結局神を捨て牧師が社長になった時、果たしてどんな風に粗っぽく生きて行くのかについて監督とずっと話をした。キャラクターの変化を与えるために、ヘアスタイルを変えて見たかった。それで軽くパーマをかけたんだが、正直初めはスタッフたちの反応が良くなかった。私なりに“8年後”の変化を与えてみたんだけど−その上、この時美容室に監督をはじめスタッフが皆来た。−頭を見るなり監督から「これ、本当?」とおっしゃるんだ。ロック歌手のようだ。暴走族のようだという声も聞こえた。だが、私は少しも疑わなかった。この髪型が合うと思った。後で幸い合っているようだと皆が言ったんだ。この様に8年後の姿を作りこむのが大変で悩みも多かった部分だ。

<私の愛 私のそばに>のペク・ジョンウは“ルーゲリック病に罹っている患者であること自体”がキャラクターのほとんど、核心だと言った。では、チュ・ヨンスの核心は何だと思うか?

キム 父、チュ・ヨンスという人は同じ一人の人間なんだが、環境のせいで変わってしまう。彼を変えた環境は娘だ。娘を失う前と失った後では人生を分けるようになる。父としての人生を諦めたのか、父としての人生をそのまま持っているのか、父性愛がキャラクターの核心だと言えると思う。

精神病者役をしてみたいと言ったのだが、ルドルフがサイコパスだからほぼ願いがかなったようだ。どのように悪役キャラクターを準備したのか?

オム サイコパス演技が特別に違わないと思った。ただサイコ、精神病がある人だとしたら一般的ではないことだろうし、普通の人々とは違い、恐れがないのではと思った。簡単に言えば、法に対する概念がないのだ。やってもいいこと、だめなことに対する善悪の概念が初めから存在しない人。だからそのようにただ自分の利益のために人を拉致したり、殺したりできるのだ。

映画でスピーカーが重要な素材として登場するのが興味深かった。あのように一つのものにマニアックにはまるキャラクターを理解できるか?

オム 個人的には特別にそれほどはまるものはない。そのような性格ではない。しかしルドルフの立場では理解できる。彼なら十分にそのようにできると思う。

キム ギジュンは十分に(キャラクターを)理解しているようだ。(笑)一緒にいて、知らず知らずに表情からそのように感じた。ルドルフとして生きている間、私にとても礼儀正しくするんだけど、時々、ぞっとする時があった。(笑)
横に行くのが怖いということだ。私としてはそういう執着がまったく理解できない。

母胎信仰をもっていると聞いた。神を捨てるチュ・ヨンスを理解できるか?

キム 絶対にそれはだめだ。個人的には理解できない。チュ・ヨンスだから。

チュ・ヨンスの立場であればそうなるかもしれないと思う。キム・ミョンミンはだめだ。

劇中盤、チュ・ヨンスは誘拐犯に渡す金を工面するためにチュ牧師だった時代には想像もできないことを犯す。シナリオでこのシーンを読んだ時本当に衝撃的だったし、どういう風に演技をしたのか気になった。

キム 正直そのシーンがものすごくプレッシャーだった。そのシーン自体だけ考えるとあまりにも負担になってその前から伏線を少しずつ張ろうと、監督と相談した。ただそのシーンだけのためではないが、妻とのシーンをはじめ関係するシーンでも少しずつ引っ張り出してそのシーンに到達した時、うまく展開できる力を与えたのだ。観客が十分に共感できるようにしっかりと仕込んだ。

スリラーやサスペンス映画が追いつ追われつしながら緊迫して、迷わずカットされるのに比べ、この映画は“強じんな山を見た時の感覚”のようだと言った。どういう意味か?

オム 他のスリラーのように追う感じがないということではないが、感じが違うということだ。今まで上映されたスリラーとは全く違う新しい作品になったようだという思いで言ったことだ。スリラーだが、美しい作品になったようだ。すごく強くてしっかりした感じがする作品だ。

娘として出演する子役とのシーンが多かった。列車の外から娘を見る場面とか、ご飯を食べる場面が印象的だった。撮影中のエピソードはあるか?

キム お父さんなんだけど自分の娘をそばで見ることがほとんどなかった。本当に列車の外からでしか。

オム 私にずっと誘拐されていたせいで(笑)。
ヘリンは静かで口数の少ない子だ。一緒に撮影するシーンが多かったので親しくなろうとあえて声をかけて冗談も言ったりしたんだが、ある日あの子のお母さんがマネージャーを通して、あまり冗談を言ったり、親しくしないでくれとお願いされたんだ。その子の立場では誘拐犯で拉致された立場なので、親しくなってはだめだと思ったらしい。

キム お母さんが警戒されたんだろう。(笑)私もちょっと警戒されたようなんだけど。守ってやることができなくてそうだったみたいだ。

オム あの時は本当にどうしようかと思った。私は相手俳優と親しくしながら気楽に演技できるタイプなんだが、あの子はずっと距離を置いて緊張感を維持しようとするのだ。私がふざける時はいちおう楽しそうにキャッキャッと笑ったんだけど。家に帰って何と言っていたのか(笑)

キム あのおじさん、いらいらするわ。そう言ったんだよ。(笑)冗談だ。 ヘリンはそんな子じゃない。かわいくて優しいよ。



前作品である<私の愛 私のそばに>では肉体を極限まで引っ張って行ったとしたら今回は感情を極限まで引っ張って行った。二つとも辛いのは全く同じだろうが、どう見ても前作だけはやれないと思う。

キム どう見てもそうだ。しかし私には苦痛はまさに楽しみだ。苦しみながら楽しんでこそできると思う。ただ楽しむことは日常でも楽に探すことができるが仕事をする時は身を削る苦痛があってこそ楽しいし、やりがいが大きい。楽にやれば何か物足りない。どの俳優も同じだ。ただ私がやったキャラクターだけではなく、すべての俳優が皆そのようなのだろう。誰でもある配役にであれ引き受けたことはすべて大変なんだから。絶対肉体的に辛いだけではないのではないか。表面的に見れば当然<私の愛 私のそばに>がさらに辛く見えるが、<破壊された男>も大変だった。正直辛くなかった作品はないと思う。

キム・ミョンミンさんの演技は完璧なメソッド演技という評価を受ける。身体の中までスキャンしたようにリアルだ。始めてキャラクターを掴む時はどこから始めるのか。どうしてこれほどまでできるのか。

キム 実際メソッド演技は演技の最も基礎的な理論にすぎない。学校でずっと習っただけで、私もどんなことなのか、よく知らない。ただ私がルーゲリック患者なら、最大限近づいて行くし、チュ・ヨンスはチュ・ヨンスのようにやるのだ。
誰でもそうするように、周りで一番近いロールモデルを探したり、本やTV、それまで私が見てきたすべての知識を総動員してキャラクターを創り出すのだろう。ただ、誰でも共感できる普遍的なキャラクターを創らなければならない。外見はだいたいこうだ。問題は心理だ。外見は真似できるが、その人の心理はよくわからない。だから心理学の本をよく読む方だ。内面まで最大限その人のようにならなければならない。

それでも演技を見るとあそこまでしなければならないのかと思う時もある。かなり激しい。キム・ミョンミンにとって一体演技とは何か。

キム この道は私が選択したものだ。始めて本格的に演技について習った時、教授が“俳優は人であってはならない”とおっしゃった。それで“人べんに非ずの俳が俳優の俳だということだ。人間キム・ミョンミンではなく違う人物になって違う人生を行きなければならないと学んだ。それが俳優の魅力だ。いつ弁護士になるのか、医者をやってマエストロをやってみることができるか。それをできるのがまさに俳優の特権だ。俳優になろうとすればそのような特権をちゃんと楽しまなければならないし、またちゃんと見せなければならない。そうしてこそ俳優として資格があると習ったし、教わったままにしているのだ。万が一牧師役を引き受けたにも関わらず人間キム・ミョンミンのようで、医者役をしても、人間キム・ミョンミンのようであれば、それは私が考える俳優の道に反するということだ。

ある役を引き受ける時私がこれをやり遂げるのか。できないかは完全に私自身との戦いだ。他の人たちが認めてくれることが重要ではないと思う。私自身との戦いに勝てないのに人から認められたら、何か他人のお金を盗んで家を買うような後ろめたい気持ちになる。少しずつ自ら稼いだお金で家を買ったこととは感じが違わないだろうか?そのように1、2回達成感を味わい始めたら、一段階、一段階ずつ少しずつ目標が生まれてくる。それが、私が生きて行く理由であり、活力素だ。そのようなことがなければ何年もやっていて、これ以上俳優としてやることはないだろう。正直俳優はすごく大変だ。肉体労働ではないか。達成感と一段階ずつ成長していくという満足感がなければ俳優生活を送ることはできないだろう。
やるんなら、ちゃんとやらないと。俳優をやりたいという人がどれだけ多いか!(笑)

ものすごい練習の虫と知られている。

キム 至極当然だ。現場ではセリフを言って、演技をして、感情まで与えながらたくさんの事を同時にやらなければならない。それなのに医者が執刀すること、マエストロが指揮をすることのようにすごく基本的な技術的部分も完璧にできなければ、感情どころではない。ただ、ご飯を食べてスプーンを動かすように、自然と身体から出てこなければならないと思う。(でも)正直ずっと監督のリアクションを見ながら、ちゃんとやろうとしたら3,4カ月では物足りない。
すべて分かるんだ。最近のネチズンたち、視聴者たちはどれだけ目が肥えているか。パッと見て、何か不自然だという話が出たらそのドラマは終わりだ。
天才指揮者が指揮者のようではないのに誰が見るだろうか。練習をしないのなら最初からその役を引き受けてはだめだ。何も考えずにただやるというのはなかなかの強心臓じゃないのか?技術的な部分はこのように練習するが、演技を練習するのではない。現場に行く時50%は空にして行くという感じで出て行く。
50%は私が持っているが、残りは現場の状況と相手役によって異なる。一緒にリハーサルをしながら監督と話しをしながら創っていくのが残りの50%だ。

前にインタビューで俳優ハン・サンジンさんが「キム・ミョンミンと同じ時代に生きているのが幸運であり、不幸だ」と言ったことがある。このような賛辞を聞くたびにどう思うか?

キム サンジンは口が達者だ。(笑) 賞賛にはそれほど。 そのように思ってもらって有難いが、まだ目指す道は遠い。 

キム・ミョンミンさんは、李舜臣、カンマエ、牧師など不思議にもリーダー役が多い。

キム 成り行きでそうなった。いつもたくさんの人たちを前に立ち、壇上に上がる役割が多い。いつだったか、ファンが撮影現場に遊びに来たんだが、ただ一緒に話をすればいいのに、私が階段に上がっていたんだ。上がって「わ〜!こんにちは!」こういうのだ。檀上病だ。(笑)

ギジュンさんはガンダムを組み立てるのが趣味のようだ。ホームページに自信満々に上がっているのを見た。演技をしない時は何をして過ごすか?キム・ミョンミンさんも演技以外に他の話をすることを一度も聞いたことがない。

キム 実際それがコンセプトだ。演技の話だけするのが。(笑)

演技以外にすることはない。本当にそういえば、ある時から趣味のようなものはなくなった。

オム 私も特別にするようなものはない。ガンダムを組みたて始めてからは1年も立っていない。それでもそのように組み立てをして見ると気分転換になる。
完成する時の快感もあるし趣味はささいなことでもあると良いみたいだ。

インタビューする前は二人の共通点が無いように見えたのだが、それなりに共通点が多い。二人とも演劇をして、それなりに無名時代がかなり長かった。あ、ノ・ヒギョン作家のドラマにも一度ずつ出演した。そして最も大きいのは二人とも声がすごく良いということだ。良い俳優になるのに必要な経験と要素は、すべて持っているようだが、そのような経験が実際にもかなり影響を与えるか。

キム ギジュンは声がいいのでルドルフにすぐキャスティングされたみたいだ(笑)。

オム 無名時代、オーディションに本当にたくさん落ちたんだが、実際その経験はあまり役に立っていないみたいだ。なぜ落ちたのか誰も教えてくれないので、いらいらしたりもした。(笑)落ちた理由が確実に分かれば他の作品のオーディションを受ける時は、それをしっかり消して行くはずなのにだ。オーディションに落ちたことはそれほどでもないが、演劇やミュージカルの舞台にたくさん上がった経験は私の財産そのものだ。本当にたくさん役に立った。演劇のような場合、あらかじめ2カ月ほど練習をしてやっと舞台にあがれるのだが、その過程で学び得ることが本当に多かったようだ。

昨年受賞コメントで「演技をうまくできない能力を持つようにしてくれた神様に感謝する。それでいつも不安で努力できる」と言った。

キム 本当に俳優として生まれついた人がいるだろう。身体条件をはじめ、すべての面で。じっとしていても俳優にしてくれて演技になる生まれついた俳優。そのような俳優は努力をしないようになっている。そのように生まれつきではないので、さらに努力をするようにしてくれたことを感謝するということだ。
じっとしていてもキャスティングされる俳優だったら、私は今ただ似たり寄ったりの俳優だったり、もう俳優生命が終わっていただろう。私は何か彼らに比べて遅れたし、ずっと無名だった状態で端役をやらなければならなかった。彼らを追い越すためには私だけの武器が必要でそれを得るために切磋琢磨する部分が私の力になった。

お酒の席でも絶対自分を取りみだすようなことがない、本当に誠実なイメージだ。誠実な生活人と俳優としての人生はうまく結び付かない部分がある。

キム 昔演劇をしている時、先輩がこんなことをすごくおっしゃった。俳優をしながらお酒もたくさん飲まなければならないし、よく遊ばなければならないと。
おまえを全部壊してしまわなければならないとおっしゃった。それで本当に全部壊したんだが。身も心も壊れて。それでじっと見ていたんだけど。そういうことを言った先輩はすごく貧乏だったのだ。それで「あ、これは違うみたいだ。お酒を飲む時間に自分の中にきちんきちんと何かを積まなければならない。」という思いがした。多方面に渡り知識が豊富でこそちゃんと表現することができると思った。無名時代に1年間「本100冊読む」運動もした。その本は表紙だけ残して全部捨てた。俳優として誠実に見える理由はたぶん俳優キム・ミョンミンが追いつめられているためだ。私は今回の作品がうまく行かなければ次の作品はもう私にはないと考える。なぜそのように余裕なく生きるのかとよく聞かれるのだが、それは演技する時の余裕とは違うようだ。そうしてこそ怠けないように一生懸命気持ちを引き締めることができる。そのような姿が誠実に映るようだ。

オム 俳優が怠けたら長く生きて行けないのは当然だ。

キム それでも以前よりは怠けるようになったと感じる。どうしても以前よりはすべてが良くなったせいで。まかり間違って失敗したらただ(道から)はずれるということだ。(笑)

「演技は十分に命をかける価値がある」と言った。演技ではない他の事をしてもここまで熾烈にやったと思うか?

オム 生きるために一生懸命やると思う。(笑)

キム どんなことをするかによって違うが、一生懸命やる。

まだ話したいことがあるか。

オム 映画が全般的にバランスがとれているように思う。それぞれのキャラクターがうまく現れていて、うまくマッチしている。

キム 正直映画に対しては詳しく言いたくない。ただ見てくれ。見なかったら後悔する。(笑)?




翻訳:SAMTAさん  〜Special Thanks〜


home

inserted by FC2 system