KIM MYUNG-MIN    ++In Style2009年10月++

“今の大丈夫でした?“
こんな風に言うと思っていた。
カメラの前に立ったキム・ミョンミンは“好きなようにポーズをとってください”
というフォトグラファーの注文に自分ひとりだけの空間と余裕を探す人を演じ始めた。
かなり淡々と。冗談ひとつ言わずに。
その姿がすごく彼らしかった。






キム・ミョンミンは信頼される演技者だ。
彼がやればすべて完璧だろうという期待が、ある瞬間から大衆の中に植え付けられた。
過度な努力で毎回自分を消していく克己の俳優。
息が詰まるような意志と情熱を持った彼に会った。




キム・ミョンミンは怖しい演技者だ。皆がそうだと知っている。<不滅の李舜臣>、<白い巨塔>、<ベートーベン・ウィルス>など話題になった彼の作品の中でキム・ミョンミンのキャラクターはいつも完璧な存在だった。たとえば<白い巨塔>最終回。胆管がん末期に至ったチャン・ジュニョクが感覚を失っている自分の状態を自覚できないということを表現するために新聞を逆さまに持ったまま座っていて、さらにはその新聞を片手だけで持つというディテールを考え出した執拗さのようなもの。また例えば<ベートーベン・ウィルス>でベートーベンの交響曲第9番<合唱>を(アマチュアという点を考慮した時)ほとんど完璧に指揮をし、本当の指揮者まで感嘆したということ。
 
 そして彼は映画<私の愛 私のそばに>でなんと20kgを減量した。筋肉が次第に痩せて死に至るルーゲリック病患者役を引き受けたためだ。インターネットを通して先に広がった映画の中のペク・ジョンウのやせ衰えた身体。
それは俳優としての挑戦の範囲というよりは人間として可能な挑戦を超えたもののように見えた。精神力の結果だ。世間にさらけ出したキム・ミョンミンの努力は、人間の肉体の限界を知らない強靭なスポーツマンのマインドを感じさせる。
だから彼に今回の選択の理由を聞く時も、この映画のストーリーやテーマの魅力を聞こうというよりは、“一体、なぜこんな苦行を自らやろうとしたんですか?”と問い直すしかなかった。

 “自分が何かを掴もうとして地団駄を踏んだと言って、それを掴めるということではないじゃないですか。その反対の場合もまったく同じでしょう。私がどんなに避けようとしてもそれが私のものであったら(結局は)私に来るんですよ。逃げれば逃げるほど近くに来ます。それがこの映画だったということでしょう。私はできないと言ったんです。それだけ痩せる自信がなかったです。”監督が痩せてくれと要求しただけ痩せる自信がないということではなかった。本人がやせなければならないというところまで痩せる自信がないということだった。彼は自分自身の恐ろしさを知っていた。ものすごい目標意識、集中力、そして強烈な意志。

 キム・ミョンミンは俳優としては非常に珍しく、映画現場よりドラマ現場が自分にはより合っていると語った。自分の演技がフィルターなくありのまま表現できるためだと言った。それはまるでスポーツ中継場面が選手たちの実力と競技内容をあるがままに見せるのと同じ道理として聞こえた。“フィルターというのは編集のような後半作業なんですが、ドラマの方はもともと時間がないので編集を几帳面にできず私が演技した姿、その日の私の状態がそのまま出るじゃないですか。演技者の立場から見るとすごく写実的な媒体ですが、私のようにバカみたいに演技する人にはさらに良いように思います。映画の現場はセッティング時間も長いでしょう。1カット撮って次のカットのセッティングをする時まで1時間以上かかるし、でもまた準備していて「お昼にします!」そうなるともう、ご飯がのどを通ると思います?(笑)ただ食事を抜くんですよ。この場面一つを撮ろうと3,4日前からその感情の状態を維持したのにそれを壊すことはできないじゃないですか。”

 完璧主義者の前に完璧な努力主義者。そのような人には自分が考えた目標に到達するためあらゆる努力もやり遂げなければならないという鉄則があるしかなかった。No Pain, no gain. 苦痛なくして得るものはない。しかしひょっとするとこの古いことわざさえキム・ミョンミンには正確な言葉ではないかもしれない。彼は結果の良し悪しによって自分の努力すべてをいくらでも否定できる人だから。“私は過程を重視しますね。”この言葉は過程が結果より重要だという意味ではない。結果を左右するために過程が本当に重要だという意味だ。“結果が悪ければ、私は最善を尽くしていないということですよ。その時は、私は最善を尽くしたと思ったとしても結果が悪ければそれは違うということでしょう。”自分を一番辛くするのもそれだと言った。“私の最善にも関わらず結果が違った時。良い過程を経れば良い結果が出るはずだというのが道理だと思うんですよ。それでこそ次にまた何かをする時最善を尽くそうという気分になるじゃないですか。必ず保証されることではないですが、最善を尽くせばある程度認められて良い反応を得られるはずではないかと・・・”そして付け加えた。“もちろんそれでも私は私自身に満足しませんが。”

 彼の作品の中にぐっとそびえ立って、実際のキム・ミョンミンもその存在感に劣らない巨大な風格の持主だと疑わずに思っていた。午前10時までにスタジオに来るという多少早い約束をしてもなんと20分も早く現われた彼は、まるでその場所にいないかのように静かに人々が集まるのを待っていたし、撮影とインタビューが進行される間、ケチのつけようがないほど紳士で物静かな態度を維持していた。彼には体温も感じなかった。去る5月末映画の撮影を終えてまだ回復中である、背が高くて軽い身体を動かしながらスタッフ達に最大限迷惑をかけないよう気遣う姿だけが見えるだけだった。彼に聞いてみた。もし後であなたが関わった映画やドラマが再び制作されて主演俳優があなたのキャラクターを表現しなければならないとしたらどんなことが一番先に、そして必ず必要かと。彼が答えた。「意志。」

 キム・ミョンミンは結局“世の人々に認められること。”には終止符を打たなかった。気まぐれな大衆の喝采は彼の激烈で自己満足的意志の前には些細な慰めに過ぎないのだろう。自分の最善だった努力を毎回反省し、限界を疑いながら自問するひと。キム・ミョンミンの次回作、いや挑戦課題は何だろうか。“毎作品がうまく行くという保証はないじゃないですか。一つの作品がだめなら、だめなところから再び始めるという事実だけがあるのでしょう。”キム・ミョンミンが<私の愛 私のそばに>で減量を始めた時、彼の目標値は、もともと無かった。監督がもうやめろと言う時まで体重を減らしていった。20kgの信じられない減量数値は、限界を知らない努力の過程で生まれた途中の結果だっただけだ。彼の本当の限界はまだ誰も知らない。





In Style October 2009
editor by HYEMYUNG PARK
photographed by YEONG JUN KIM


翻訳:SAMTAさん  〜Special Thanks〜

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