KIM MYUNG-MIN  ++singles 2007年3月++


私は チャン・ジュニョクだ

子供たちも、若い女性も、年老いた男性もドラマ<白い巨塔>の話をする。
全国民の共感を呼んだ家族ドラマ。若者が好むトレンディドラマに嵌るのとはかなり違う形の“熱狂”だ。
病院を素材にした緻密で、迫真あふれるドラマだ。<白い巨塔>。
その白い塔のてっぺんにいるキム・ミョンミンを呼びだした。

Photographed by Park Myung Wha
Written by Yeo ha Yeon




バスの停留所、バスを待つ時、小学校4年生ぐらいに見える子供たちが話をしている。「昨日<白い巨塔>見た?チャン・ジュニョクがノ・ミングクに膝まづいただぜ!」「ホント?すげ〜!」最近人々は集まればドラマ<白い巨塔>の話をする。昔の町内のご婦人たちが洗濯場に集まってカプスンとカプトリのラブストーリーについてあーだこーだと言ったなら、最近の人々は映画<美女はつらい>がどうだったとか、チョ・スンウやカン・ヘジョンの別れ話に関して話をする。まるで映画俳優が親しい友達のように、お茶の間劇場で起きたことが自分の家のお茶の間で起きたことのように話に花を咲かせる。でも、小学生たちが<白い巨塔>について話をするのは少し見慣れない風景だ。それは純真な子どもたちが未成年観覧不可映画について関心を持つのとはまた違う感じだった。まるで大人だけが飲む苦いカクテルをごくりと飲みながら満足の笑みを浮かべる子供を見る気分というか。「君たち、ドラマを見る目があるなあ」と言いながら喜ぶにはどことなく苦々しい気分もする。同時にドラマは果たしてどういう理由でこのように人々を恐ろしく引き込んだのか気になった。

人間の“生命”を扱う神聖さ(?)病院内での陰謀とたくらみを扱う<白い巨塔>は異色のドラマだ。このドラマには他のドラマのように恋愛構図(ラブライン)も含まれていない。過去の医学ドラマの元祖であった<総合病院>はもちろん、<グレイアナトミー>や<外科医師ボン・ダルヒ>のベースになっていた曖昧な恋愛の空気が全く感じられない、100%男性だけの話として満たされたもの。しかしなぜ女性まで<白い巨塔>の中毒になったのか。それはこのドラマが、男性が社会の中で繰り広げる陰謀以前に、人間の根底に敷かれた“欲望”に触れているためだ。すごく恥ずかしくて複雑な欲望。

チャン・ジュニョクを演じるキム・ミョンミンを見る。まっすぐだが、成功に向かって疾走するその内側には不安な何かがある。石の固まりを抱いて山に向かって登るシジプスのように、無慈悲な上昇の欲望とひどい刑罰の影が同時に掛っている、皮肉な運命のイメージが見える。<白い巨塔>のチャン・ジュニョクは成功のために手段と方法を選ばない冷血漢だ。善人と悪人。二分法で分ければ、チェ・ドヨンが“善人”、チャン・ジュニョクは“悪人”に近い。それにも関らず人々はチャン・ジュニョクに感情移入する。日本で放映された時、日本の人々がチェ・ドヨンに肩入れしたのに比べ、韓国の人々は今チャン・ジュニョクを擁護している。それは完全に俳優キム・ミョンミンが持った力のためだと思う。果たしてチャン・ジュニョクとキム・ミョンミンの間にはどんな因果関係があるのだろう。


<白い巨塔>、医学ドラマだが政治ドラマでもあるし、政治ドラマだと言うには人間の心理や欲望に接写レンズを合わせた本当に異色のドラマだ。最初はチャン・ジュニョクではなく、チェ・ドヨン役をオファーされたと聞いたが。

チェ・ドヨン役のオファーがあったのは昨年の初めだ。もともとチャン・ジュニョクはチャ・スンウォンさんがやることになっていた。当時私は映画<千個の舌>(後に「リターン」に改名)を撮る予定だったので、すぐ入るのでなければできないと断った。その間ドラマ制作が遅れて、チャ・スンウォンさんのスケジュールが合わなくなって、もう一度オファーがあったのだが、今回はチェ・ドヨンではないチャン・ジュニョク役だった。初めに原作小説を読んでチェ・ドヨンに対する役を分析していてまたチャン・ジュニョクを見ると心配になった。このような欲望が大きい人物を果たして僕ができるだろうか。プレッシャーが大きかった。外科医師として見せなければならないことや技術的な部分については<千個の舌>で外科医師をしながらすでにトレーニングしていたので大きなプレッシャーはなかったのだが、どのように内面演技をするのかずっと悩んでいた。

<白い巨塔>が人気がある理由は他のドマラのような、正義はいつも勝つという善に対するファンタジーがないためではないかと思う。登場人物のキャラクター一人ひとりが劇的なようでありながらも、典型的ではない。特にチャン・ジュニョクのキャラクターは本当に複雑だ。卑怯でありながらも卑屈で、傲慢と優越感がありながら、後悔し悩んだりするし。

人間の2面性を知ると、悪いだけの人はどこにもいないだろう。チャン・ジュニョクは韓国自身の姿だ。俳優は実生活の外で違う職業の人と接する機会が多くない。<白い巨塔>を撮りながら、食堂でご飯を食べる時、テーブルに医師たちが団体で来た。医師たちはドラマでどうしたらあんなに自分たちの話とまったく同じに描けるのか、と感嘆した。大企業や組織に身を寄せている男たちは皆自分の話だと共感する。<白い巨塔>が、人気がある理由はまさに明確に我々社会の姿を描き出しているからではないだろうかと思う。多様な人間群像を見せることで我々の姿を振り返ることができるのだから。

手術の過程やセリフにリアリティが生きている。それでも原作が日本小説なので韓国とは現実的に違う面もあると思うのだが・・・

なるべく日本のドラマを見ないようにした。何度も気になるはずだから。日本では総合病院“科長”ではなく“教授”になることが目標だ。韓国の状況に合わせて教授ではなく科長に変えた。しかし実際に実力のある外科科長のポストというものは本当に大したものだ。アドバイスをくださるアサン病院のイ・スンギョ博士のような場合も回診される時冗談ではない雰囲気だと言う。権威のある外科長はその病院の顔だ。院長も軽く扱うことができない権力を持っている。

チャン・ジュニョクのキャラクターが複合的なのでキャラクターに対する完璧な理解がない演技は辛いと思う。視聴者たちが思うチャン・ジュニョクとキム・ミョンミンが考えるチャン・ジュニョクは若干差があるようだ。物事の内と外が違うように。

二分法式論理であえて問い正すならチェ・ドヨンは正義の側に立つ医師だが、私が患者ならチャン・ジュニョクに治療を受けたいと思う時が時々ある。

チャン・ジュニョクは悪だと決めつけることができない人物だ。なぜなら私が彼の立場だとしてもそうしたと思うから。そのような面で<白い巨塔>は本当によくできているドラマだと言うことができる。そして1回から今までチャン・ジュニョクの感情を理解してきた人なら私がチャン・ジュニョクに対して感じる感情に共感するだろうと思う。中盤以降から見た人はあの人はなぜあんな風に悪いのかと思うかもしれないが・・・田舎で母ひとり子ひとりで苦労して育ったチャン・ジュニョクは、代々医者の家系で自然に医者になった人とは違う。彼は自分が持った実力ひとつで無から有を創りだした人物だ。だが実力ひとつだけでできないこともよく分かるようになり、義父や妻を通じて、人を欺く術を学ぶようになり・・・社会に適応するために人が変わるということだ。チャン・ジュニョクをそのようにしたのは周りの状況であり、彼をけん制する勢力であり、チャン・ジュニョク一人が優れてはしゃいでそのようになったのではないと思う。だから私は彼が悪だとか悪い奴だとかそのように考えてみたことがない。

チャン・ジュニョクを憎むことができない理由は視聴者として彼がいつか破滅するということを知っているためではないかと思う。さらに彼は悪役だが余裕がない。だから気の毒だ。

彼は本当にすべてに対して一生懸命だ。自分の仕事であればなおさら本当に誰よりも一生懸命だ。医療事故が起きたことも、私は大義のために小を犠牲にするという意味としてとらえる。誰でもそのような状況ではそのような選択をするしかないということだ。

キャラクターに対する没頭がものすごいらしい。集中しなければならない時はメイクの直しもだめだと。

私が集中しなければならない部分がある時はすごく敏感になる。誰かが来て顔を直せば、感情と顔の雰囲気が壊れてしまう。だから前もってお願いする。この部分ではちょっと、顔がテカっても、汗が浮いてもメイクを直さないでくれと。

他の作品をする時もそのように没頭するのが大変だったのか?

毎回演じる時は大変だ。しかし辛かった分、結果が付いてくる。演技が辛いというのは、演技は私キム・ミョンミンを捨てる作業のためだ。インタビューしていて突然テイクに入ると言えば、私はまた辛いということだ。俳優が感情を掴んで十分な時間を持つことができるように待ってくれる現場はない。落ち着かない状況でもテイクに入ればその感情と演技が出せるように演技者はいつも準備していなければならない。



1996年にデビューした。デビューしてからかなりになるが、あなたに対して大衆が記憶しているのは凄く断片的な姿だけだ。<不滅の李舜臣>をする前にスランプに陥って留学しようとしたという記事を読んだ。何がそんなにあなたを辛くしたのか。

人々が私を記憶してもしていなくても別に重要な問題ではない。私を辛くするのは完全に私自身だ。私が私自身を判断することにおいて自ら発展がないと思った。一人で陥いる自分だけの自壊の念のようなものだ。人々は<花よりも美しく>も良く見たし、映画も2本だめになったがずっとよく活動していたのに、何がそんなに辛いのか?そのように言ったが、私はそうではなかったようだ。私はここでこれぐらい見せたいと思うのだが、それがうまくいかないので。そのような点でチャン・ジュニョクと私は似ている。ただチャン・ジュニョクは手段と方法を選らばず、事を成し遂げようとするが、私はひたすら順番にやるスタイルのため、一生懸命やればいつかはうまくいくと思ったが、それがだめだったので絶望感が大きかった。そしてわたしのせいで家族が辛い思いをしていることが本当に辛かった。

今もキム・ミョンミンと言えば映画<鳥肌>でのその不安で不幸だったヨンヒョンの残像が強く残っている。あなたがやった役の中で明るいキャラクターを見たことがないようだ。何と言うか、優しい人、悪い人、あなたはそのどれにも属さないようだ。まなざしは優しいが、口元は冷たい。邪悪ではないが、あなたの目はある信号を送っているような感じがすると言わなければならないか。

不安と欲望が一緒に感じられるまなざしだ。

どんなに明るい役だと言ってもその人物の真正さというのが生きていなければならないと思う。どんなに笑ってにぎやかな人物だと言っても彼が一人でいる時は孤独ではないだろうか。どんなに闊達で明朗で話しが上手でも彼も悲しい時がないのだろうか。そのようなことがその人物の生きている姿なのに明るい人物だと言ってただ明るく表現することは人間ではなく、人形ということだ。生きていないということだ。一貫性を持ってその人にも悲しみと哀歓があるということを私は見せたいと思う。

子供の頃はどんな子供だったか。

人の前に立つのがすごく好きだった。学校で学芸会、演劇のようなことをする時は出て行って演技をした。上手だなあという声を聞くと本当に嬉しかった。遠足に行けば、私はあっちのクラスこっちのクラスに行って踊りを踊るので遊ぶことができなかった。人気投票すれば1位だし・・・それで私は自分も知らないうちに演劇の方に足を踏み入れるようになったようだ。

俳優たちは常に自分が子供の頃は内向的で人見知りがひどかったと言うのだが・・・

私も外交的ではない。そうではないが、人の前に立つのは好きだった。それは外交的ということとは違う問題のように思う。ござが敷いてあると(人前で)できないという友達もいた。でも私はその反対だった。

どんな仕事でも10年過ぎれば自分がしていることが何か、実体がはっきり見えてこなければならないが、どうだろう。映画公開を前にしたある監督に気分はどうかと聞くと、男性監督なのに、出産を前にした気分と似ていると言った。毎回子供を産んでも、生まれる前は不安で、生まれれば辛かったことを全部忘れてしまうためだ。あなたにとって演技はどんなものか。

今もまだ私は演技が何なのかよくわかっていない。でもある人物を演じながら私が一緒に感じて心が辛くなるのは私はすごく好きだ。それは演技の一番大きな魅力だ。

私が医者役をする前は医者がどんな存在であるかわからなかった。病院に通いながらなんとなく表面的な姿だけしか見えなかったのだが、医者の役をしながらこのような哀歓と喜びと使命感があるということがわかるようになってそれを姿として感じるようになるのですごく嬉しい。人々が“君は本当に医者のようだ”そう言えば、すごく喜びを感じる。でも”あのシーンで君はキム・ミョンミンだった“そのような言葉を聞けば死にたくなるし、もう一度挑戦したくなる。

でもそのキャラクターではなく、その俳優自体見える俳優もいる。俳優のオーラがキャラクターを塞ぐ場合もある。

この役をしてもキム・ミョンミンが見えて、あの役をしてもキム・ミョンミンが見えるのは私にとって死と同じだ。演技を赤裸々にモニタリングしてくれる友達が10人いるが、“おまえはあのシーンではキム・ミョンミンだったぞ。おまえはあそこでは前のドラマで出た誰かだった”このような事を聞けば死にたくなる。もちろんキム・ミョンミンがすることだから大きく変えることはできない。<不良家族>をする時はオ・ダルゴンの真正性を持たせたかったし、今はチャン・ジュニョクの真正性を持たせたい。だから人々がチャン・ジュニョクだけを記憶して、キム・ミョンミンという名前を覚えられないとしても私は関係ない。<白い巨塔>を見ながら、あの人がキム・ミョンミンか?よりは“李舜臣”をやった人か?と見てもらえたらと思う。

あなたが実際医者だったらチャン・ジュニョクのようだっただろうか。チェ・ドヨンのようだっただろうか。

チャン・ジュニョクとチェ・ドヨンを半分ずつ混ぜたような感じだ。でも医者は技術者ではなく命を扱う存在だという事実を忘れてはいけないと思う。

欲が出るキャラクター、俳優として必ずやってみたいキャラクターがあるか。

そのようなものはない。どんなキャラクターであれすべて魅力的だからだ。どんな人間であれその中に喜怒哀楽と欲望が込められている。やくざとして生きようと、医者として生きようとそれは重要ではない。

俳優としてまたは人間として不安なことはあるか。

人間キム・ミョンミンとして不安なことはない。俳優として不安なことは家族と離れることだ。仕事をする時、ある極限の役を引き受けた時、すごく辛くなるようだ。

自らを拡大するスタイルか。完璧主義者だからそうなのか。

完璧主義者じゃなく、むしろ自らを拡大するタイプに近い。だから周りの人たち、いや、家内が辛く思う。妻は私が映画撮影に入った時は自分の夫ではないと思うそうだ。あなたはすごく変わったので私の夫だと思わないと。そして私を放っておく。それが内助のように思う。ただ有難い。

普段の人間キム・ミョンミン、夫であり父であるキム・ミョンミンはどんな人か。

普段は家族といる時間を楽しむ。もっぱら家。家に帰ればあまり出かけない。家族と食事をしに出かけて、旅行に行って、でも作品に入れば他のことはまったく考えない。周りの人にまったく気を使わない。家族のイベントにもちゃんと参加できないし、だからすごく申し訳ない。

俳優として、人間としてあなたの野望は何か

最初に演技を始めた時、雲の上の存在の俳優たちの間で認められる俳優になりたいということだった。今もその初心は変わらない。私が認める俳優から認められたい。<白い巨塔>のチャン・ジュニョクも同じだ。実際彼も実力ある医者だと思うチェ・ドヨンに自分の実力を認めてもらうことを望んだのだ。?



Singles 2007 March

翻訳:SAMTAさん 2010.9.18

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