キム・ミョンミン"私が演技に満足したとすれば俳優をやめること"   2011.01.25



キム・ミョンミンには'演技本座' '演技天才'という修飾語がしばしば追いすがる。彼が作品で見せた優れた没入力により生じたニックネームだ。

封切りを控えた映画'朝鮮名探偵'でも同じだ。 今までは全く違った'ゴマ方正'演技だが映画の中オ・ダルスの台詞のように"笑わせる両班(ヤンバン)"名探偵に完全に変身した。 それにもかかわらず、キム・ミョンミンは"'演技天才)'という修飾語はやめてくれたら嬉しい"と冗談を言った。

◆天才演技者という気がしたとすれば俳優を止めたこと

'朝鮮名探偵'を見た後'キム・ミョンミンにこういうしらじらしい表情があるとは'という感心がひとりでに出てきた。 その後'本人もだいぶ満足だったのだ'という気がしたしインタビューを"画面の中自分演技を見ながら'これはあきれるように上手にした'という気がする時があるか?"という質問を投げた。 だが、返事は"ただ一度もない"であった。

"私が私演技を見てそのような気がしたとすれば神の境地に上がったり一人だけの錯覚でしょう。その水準になるならば演技を止めなければならないですね。そんな感じを一瞬でも感じたならこの仕事を辞めたということです。 代わりに私がした演技を見ながらきまり悪い時はありました。他の人と共に見るときはわざわざ騒々しくさせて映画に集中をできなくさせます。(笑い) 一人で見ればしかめっ面をしながら'なぜあのようにできなかったんだよね'と考えたりもします。 '演技本座'という修飾語も違います。演技に対して天才的なことでなく努力に対する産物です。"

◆ '俳優を上手にしたんだな'したい時は誰かに'希望'を与えた時

俳優として生きていくということは大変疲れている。いつも大衆の視線を意識しなければならなくて私生活まで全部返却しなければならない時が1,2度でない。各種のデマに苦しめられなければならなくて事実ではないが災いを押してこらえなければならない。 俳優で生きていって幸せだが'私が一般ならば..'と気がする時はいつだったのだろうか。



"俳優として暮らして良くない点は私の生活が自由でないということです。インターネットの飛び交うデマを見ながら画家込みあがるがこらえなければならない時、あきれる話で人を売り渡す時など多いです。 以前に接触事故に会ったことがありました。どんなおばさんが私の車を後から受けて首の後ろが痛かったが'キム・ミョンミン氏のファンです'という一言に私が痛いことより'大丈夫ですか?'と尋ねなければならなかったんですよ。 そうする時'私が一般人ならば..'という考えたことがあります。(笑い)"

こういう不便さがあるが'それにもかかわらず、俳優を上手にしたんだな'したい瞬間があるので'人間キム・ミョンミン'でない'俳優キム・ミョンミン'で生きていくだろう。 彼にいて'俳優なので幸せです'と叫びたかったことはすぐに'希望'を伝える時であった。

"一介俳優が持った影響力がとても大きいということを感じました。ドラマ'不滅のイ・スンシン'をとる時だったが癌闘病中の女流画家に会ったことがあります。私のファンであったしたくさん会いたがったそうだよ。 私に会った以後生命が延びたという話を聞きましたよ。その時'嘘のようなことが起きたりもするんだな'という気がしたし'俳優の職業が自己満足のために演技するのではない'と感じました。希望を与えることができる存在というものが良かったです。"

ある人たちは話す。"キム・ミョンミンは本当に多くのキャラクターを消化した"。 だが、彼は"人々はさまざまだ。かなりの役をすべてしたというけれどまだまだだ"とこれを否定した。 キム・ミョンミンはいつも新しいものに挑戦して観客のために努力する俳優だ。 だが、自分の演技に満足しない。 "私の演技に満足するならばこの仕事を辞めるだろう"と話す彼にファンは"あなたの演技に満足しないで下さい"と叫ぶかも知れない。 いつまでも彼の演技を見たいからだ。
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